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リベラリズムの系譜学

, 中村 隆文

によって 中村 隆文
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内容紹介 私たち人間は常に「自由」を求め、自らの人生の可能性を追求したり、幸福を 実現するために、二千年以上にわたって「リベラリズム」という運動をつづけてきた。 しかし、リベラリズムにおいて自由が保障されるということは、個々人がなんの足枷 もなく自由に振る舞う、ということではない。リベラリズムは、政治に参加したり、公平 に裁かれたりする権限・権利が保障されることを求め、同時にそれにふさわしい社会 システムを必要とするのである。 本書では「法の支配」という制御系システム、そして「民主主義」という駆動系システム という二つの柱に焦点をあて、これまでのリベラリズムがどのような社会システムの中 で成り立ってきたのかを検討する。その二つの柱のバランスこそが、私たちが享受する 「自由」を決定づけてきたのだ。 私たちは、「リベラリズム」という運動をこれからも後世に託しつづけられるのだろうか? それとも、この運動そのものに終止符を打つのだろうか? 哲学者たちによる問題提起と 解決の繰り返しの歴史から学び、これからの「自由」を考えるためのリベラリズム入門。 [目次抄] 第1章 法の支配 第2章 民主主義とリベラリズム 第3章 正義・善・幸福 第4章 「自由」と「合理性」の限界とその先へ 出版社からのコメント 内容(「BOOK」データベースより) 二千年以上にわたりつづけてきた「リベラリズム」という運動を、私たちは後世に託しつづけられるのか?哲学者たちの議論から、これからの「自由」を考えよう。 著者について 中村隆文(なかむら・たかふみ) 1974年生まれ。千葉大学大学院社会文化科学研究科博士課程修了。千葉大学非常勤講師、 鹿児島工業高等専門学校専任講師、同准教授、釧路公立大学経済学部准教授を経て、2019 年4月より神奈川大学外国語学部准教授。博士(文学)。 著書『不合理性の哲学――利己的なわれわれはなぜ協調できるのか』(みすず書房 2015) 『カラスと亀と死刑囚――パラドックスからはじめる哲学』(2016)『自信過剰な私たち ――自分を知るための哲学』(2017)『「正しさ」の理由――「なぜそうすべきなのか?」 を考えるための倫理学入門』(以上ナカニシヤ出版 2018)。訳書『ハイエク全集II-4 哲 学論集』(共訳 春秋社 2010)。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 中村/隆文 1974年生まれ。千葉大学大学院社会文化科学研究科博士課程修了。千葉大学非常勤講師、鹿児島工業高等専門学校専任講師、同准教授、釧路公立大学経済学部准教授を経て、2019年4月より神奈川大学外国語学部准教授。博士(文学)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
リベラリズムの系譜学を読んだ後、読者のコメントの下に見つけるでしょう。 参考までにご検討ください。
法哲学という限定された分野からのリベラリズムの系譜学である。その意味で本書はかなり専門的な論述である。まず、「自由」(リバティ)の意味であるが、著者にとって、自由とは「自然状態」におけるやりたい放題という意味の自由ではなく、「社会状態」における自由であるという。これは、社会契約説で説かれた政府の権力によって保障された自由を意味する。したがって、著者は、社会契約説を説いたホッブズ・ロックから系譜学の記述を始める。しかし、ホッブズにおける自由が自然状態においては「やりたい放題」の自由を意味したとしても、ロックの場合はそうではあるまい。なぜなら、ロックは政府が成立する前の自然状態において、人間は元来理性的動物として「自由」や「独立」を享受していたと考えているからである。これがロックが考える自然権の起源となったのではないか?やりたい放題の自由はあくまでもホッブズが考えた自然状態であり、ロックには当てはまらないのではないか?自然権とはそもそも社会契約説を説く論者にとって、すべての人間が生ながらに有する人間としての基本的権利であり、自然状態において保持すべき権利であるからこそ、社会契約によって保障されねばならないものとみなされたのではないか?こう考えることもできるのではないだろうか?さらに著者は民主主義を「駆動系システム」と捉え、法の支配を「制御的システム」とみなす。民主主義は主権者としての人民が主体的に立ち上げる政治的・社会的システムであり、法の支配は人民による主体的な自由の行使を公共の福祉によって制御する政治的・法的システムなのだろうか。法は民主主義によって定められるものであるから、人民による主体的な政治的システムを意味するものでもあり、法の支配を制御システムとして断定するのは人民の主体性を排除する考えではないか?いろいろ疑問はあるが、法哲学の立場から自由の位置づけを厳密に考える本書は大変貴重な問題提起である。熟読吟味すべきテーマである。著者の精緻な理論的分析には頭が下がる思いがする。お勧めの一冊だ。

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