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思考訓練の場としての漢文解析―受験国語
本, 市川 久善
によって 市川 久善
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以下は、思考訓練の場としての漢文解析―受験国語に関する最も有用なレビューの一部です。 この本を購入する/読むことを決定する前にこれを検討することができます。
評者はディレッタント(知ったかぶり)にすぎない。しかし素人目にも、訓読の歴史を知っているのかな、言葉が過ぎるのじゃないか、という箇所が散見する。何分にも目くそ鼻くそを笑うたぐいの書評である、真偽のほどは保証しない。○全般的なこと「本書は「訓読は古文和訳にすぎない」という視点から、訓読を経由しない直読直解が可能な「漢文法」を伝授します」と市川はいう。この種の主張は江戸時代の荻生徂徠以来なんら目新しいものではない。金文京『漢文と東アジア』2012は、日本の訓読の歴史を要領よくまとめている。牛島徳次『日本における中国語文法研究史』1989は、明治以降の日本における漢語研究の歴史に触れるところが多い。最近のものでは、『訓読から見直す東アジア』2014 が訓読という言語現象を歴史以外にも、さまざまな興味深い観点から論じている。○「何為(なんすれぞ)」について。何為「なんすレゾ」という訓読は「直訳という名の誤訳」だと市川はいう。「為」を動詞(「なす」)と解したからこの誤訳が生じたのだ、すなおに前置詞(「ため」)と解して「なんのために」と訳せばよいのだそうだ。「しかしなにが禍したか、古のヤマトへと輸入・受容された際に、・・・「なんすレゾ」などと似ても似つかぬ不本意な読み方をされてしまい、にもかかわらず(「何以(何を以て)」と)意味は同じである、というネジれた解釈が、現在にいたるまで修正を受けないままに引き継がれています。」(p.161)なぜ、何為の為を「する」と解したか。「為」は、上古音はいざ知らず、中古音より本義と派生義では声調を違えて読む。「古インテリ和人」は、自ら漢籍の訓詁を読み、あるいは音博士に任じられるような渡来人から聞き、その程度のことはきちんと調べ弁えていた。証拠を一つあげる。五経等に関してかれらが拠りどころとした音義書のひとつに『経典釈文』がある。五経のテキストに出てくる個々の文言(もんごん)に即して音義を釈している。「為」の箇所では、派生義「ため」で使用するときに限って、その音は「于偽反」だとする。これは去声である。特別に注釈がない場合、「為」は本義「なす、する」で、平声に読む。明経博士(清原家、中原家)や文章博士(菅原家、大江家、藤原家等)の訓読法を伝える書物の影印はネット上に公開されているから、関心のある向きは自分の目で確かめてみるとよい。五経に関しては、『経典釈文』の注釈が丁寧に書き込まれていることに気づくだろう。写本にせよ版本にせよ博士の訓みが判る古籍において、「何為」の「為」に「于偽反」と注することはない。「古インテリ和人」は、かの地の学者の訓詁に従ったのである。「何為」の「為」は本義であり、「する」と訓読すべきだと考えたのである。*名の知れた古典籍はデータベース化されているから、「何為」や「為」がどこに出てくるか簡単に検索できる。 たとえば『論語』について「何為」と「為」の出現箇所を検索し、次に博士家の訓点本と『経典釈文』がそこに付した注釈を見よ。○兼詞または縮約語について蓋=何不、耳=而已のこと「盍は何不の表音文字であるということにすぎないのであり、元の姿と合わせて理解すれば不可解なことは何一つない(なかったはず・・・)のです。」(p.178)「盍何不也」(盍は何不なり)と注疏のある儒教経典はたくさんある。これら経典は、律令の学令が規定する大学・国学にまなぶ生徒の教科書として、誰の注釈に従って読むべきかもふくめて、指定されていた。官僚層を形成する殿上貴族も地下官人たちも、これら経典についての知識・教養は当然もつべきものと期待されていた。かれらが読んだと思われる注疏の例を挙げる。「盍徹乎」(盍ぞ徹さざるか)(論語・顔淵)魏の何晏の注釈に「鄭玄曰。盍何不也。」(鄭玄曰はく、「盍は何不なり」と。)「盍請済師於王」(盍ぞ師を済まさんことを王に請はざる)(左伝・桓公十一年)魏・晋の杜預が「盍何不也」と注を加えている。「盍は何不の表音文字であるということにすぎない」とあらためて市川に教えてもらうまでもなかった。「古和人は、これ(而已の意味)を古和語の文末助詞「のみ」にあてて、見事に意訳しました。あまりにハマリすぎて、これが「接続詞+動詞」の文構造であることなど誰も考えずに済んだのでしょう。訓読は意味が通ればよいのですから。」(p.226)河北景楨『助辭鵠』(『漢語文典叢書』では第二巻に収録)の「而已」の項を見てみる。なお、景楨は本居宣長の同時代人。「已は止也と注す。而已は何々を而(し)て已(や)むと云(いふ)を軽用して助詞とする也。・・・俗に云ふ「すんだ」也。・・・而已と二字にて云(いふ)は語緩(ゆるやか)なり。已(イ)は又軽し。耳(ジ)はやや重し。沈存中云(いふ)「而已(の)切音(は)耳」。」*切音ここでは縮音を意味する。**沈存中(1030?~1094?)沈括のこと。北宋学者。その著『夢渓筆談』に「而已為耳」とある。景楨が「已は止也と注す」と記すのは、「子未可以已乎」(礼記、檀弓編下)の「已」に「已猶止也」(已は止と同じである)と鄭玄が注を付したことを指すようだ。『礼記』は鄭玄注のものを読め、とやはり学令にある。奈良時代の「古和人」には已=止(やむ)ぐらいのことは常識だった。また北宋の沈括が「而已は縮めて発音すると耳」とすでに書いていると景楨はいう。景楨以前、好学の和人の知らぬはずがない。「かれらは『爾雅』、『釋名』等の字書およびその註疏、諸家の訓詁を参酌し、またあまたの漢籍の用例を自ら総合して語法を研究したのである。」(平野彦二郎「徳川時代に於ける助字・虚字・実字の著者に就いて」1927参照)○漢文に形式主語が存在するという説について。夜聞漢軍四面皆楚歌。項王乃大驚曰。「漢皆已得楚乎。是何楚人之多也。」項王則夜起飲帳中。(史記・項羽本紀)夜、漢兵四面に皆(みな)楚歌するを聞けり。項王大いに驚き曰はく。「漢、皆(みな)已(すで)に楚を得たるか。これ何ぞ楚人の多きや。」項王夜起き帳中に飲す。「是何楚人之多也」を市川は次のように構文分析をする。是(形式主語代名詞これ)何(補語疑問代名詞なに)楚人之多(真主語名詞節:楚人が多いということ)也(や)英語相当訳は直訳What is it that people from So is(ママ) too many!?(ママ)意訳What does it mean that so many So-people surround us!?(ママ)だそうだ。「これは一体何事か?楚の人間がこんなに多いとは!」と大いに驚き、かつ「万事休す!」と嘆いているのですから、このように形式主語まで立てて、大げさに表現しているのです。(p.119)先に結論を書く。是=形式主語という勘違いのもとは、「是何・・・也」を見て、「これは一体何事か?」「なんじゃこりゃ~!?」と素人解釈したことである。そこから、「是何楚人之多也」は、「楚人之多、何也」に書き直せるという怪しげな説も出てくる。「何と楚人が多いことだろう」と「楚人が多いのはどうしてか」では意味が違う。「これ、なんぞ、楚の人の多きや」というふうに書き下ろしました。・・・「こういう場合は何=「なんゾ」と読んで、感嘆を表す」という訓読ルールをつくったのです。しかしそれは、文の文法的構造が分からなかったからそう意訳せざるを得なかったのであり、英語を知らなかったゆえのやむを得ざる仕儀であり、”名和訳”でした。(p.119)市川自身にそのまま当てはまりそうな解説である。漢文は古来の文章語(書面語)として、用語、文型、修辞等において従うべきルールが非常に多く、それに則ればこそ解釈が一定し、数千年に渉って東アジアの公用語として通用したのである。勝手に「訓読ルール」を作ったと言うがごときは、歴史への無知をさらす。伝統的訓読法に固執する(?)『解釈漢文辞典』(多久弘一他、国書刊行会)に拠ってみる。前の文に更めてコメントを付す表現として「是--也」の句形が出ている。解説にこうある。「是の字は本来は指示語であるが、この形の是は、上文を受けて・・・「である」と肯定する意。主題を提示して断定するもので、上の言を一度指示し強調の言い方となる。是の代わりに此、斯も用い、下の也は略されることもある。」(p.598)知之為知之、不知為不知。是知也。之(これ)を知るを之を知ると為し、知らざるを知らずと為せ。是れ知るなり。(論語・為政)(p.597例句)「是知也。」は「それこそが知るということなのだ。」といった訳になる。またこの解説からも判断できるが、「是」が後に来る句・文(の内容)を指すことはない。したがって形式主語になることはありえない。同書で、項羽本紀の箇所は、感嘆を表す表現「何--(之)--也」の例文として引用、訳が付される。「漢皆已得楚乎。是何楚人之多也。漢はもうすっかり楚を手に入れたのだろうか。この城を囲む兵の中に、なんとまあ楚人の多いことであろう」(p.325)「是」は再確認・納得という認識を表現する。強いて訳せば「(それ)だからだ」「そうなのだ」。○「如何・奈何・何如せん(いかんせん)」について「いかんせん」では、どれがどの字の読み方かわからない訳語(しかし名訳です!)をあてている。古和人の文法的困惑とともに語学天才ぶりが偲ばれますが、その迷走の原因は、漢文法と和文法の違いを無視して、古和語の訳語を当てはめようとしたからです。(p.91)いかんせん<いかにせむ<いかに・せ・むと品詞分解できる。「如何(いか)に」は形容動詞「如何なり」の連用形。市川の孫引きの講釈どおり、形容動詞とは和語の語彙に存在しない漢語の形容の語をそのまま音読みし、それに助動詞「なり、たり」をつけて活用する形容語と化し、和語に取り入れたものである。例、「綺麗なり」「夭夭たり」。これは、漢語の動詞を音読みしたものに「す、する」を付けて、サ変動詞として扱うのと同じである。例、「課す」「救助する」。語幹「如何(いか)」は音読みで、「ニョカ、ジョカ」が訛ったものだろうか。「如何・奈何・何如」を「いかんせん」と訓読するのは「古和語の訳語」を当てはめているわけではない。「如何」を「いか」と音読みしても訳したことにはならない、外来語なのである。「どう」と読めば、訓読みしたことになる。○学生に教える立場にあれば、漢文訓読の歴史に対する無知とそこから派生する侮りは、矯正すべきものだと思う。漢文訓読への英語文法の応用に関心のある向きは、欧米の古漢語文法解説書を読むとよい。漢字の使用に慣れた日本人にはまだるっこしい部分もあるが、啓発されるところも多い。Classical Chinese: A Basic Reader, 2004の「奈何」の例文。嗟乎。吾奈公子何。(左伝・襄公三十一年)Alas!What shall do about the Prince?(Texts, p.167)吾(S)[奈(V)公子(O)何(comp)](P)と解析している(Analyses, p.341)。Pはpredicateで述語、述部のこと。述部をさらに分析すると[V・O・comp]となるという。compはcomplementで補語のことだが、五文型の補語(C)ではなく、漢語文法で使われる補語。内容が全く違う。ドイツ語の古漢語文典は、Georg von der Gabelentz, Chinesische Grammatik: Mit Ausschluss des Niederen Stiles und der Heutigen Umgangssprache. 1881デジタル化され、ダウンロードできる(PDF)。無料。部首索引付。書籍のほうが使い勝手が良いというなら、影印本も出ている。如何、何如などは疑問副詞(Frageadverbien, ss.481-488)の項に解説と例文。また関連§が指示されている。William Boltzは西洋語による古漢語文典の最高峰と評す。Boltzは、The Origin and Early Development of the Chinese Writing System, 1994を著すが、文字は音声言語の写しだという説を捨てない。古漢語の漢英辞典もある。漢英古今常用語匯詞典張常人編纂、2005ABC Etymological Dictionary of Old Chinese, Robert H.Gassmann, Wolfgang Behr, 2013「何也」、「是--也」、「何--(之)--也」の句形については、『古漢語虚詞詞典』(商務印書館1999)等に解説と多くの例文が出ている。品詞や構文の解析がなされているから、興味のある方はのぞいてみるとよい。ネットで公開されている『概説漢文の語法』は、教科書的でやや退屈だが、『漢辞海』の文法・語法解説を詳解する。高校教師の作か。第三部の句形の解説は未完。
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